岩橋玄樹くんありがとう

玄樹くん





5年間ありがとう。


2016年初め頃、チャンネルを間違えて観た少クラでPrinceを知り、あなたを知りました。


Jr.に対して無知だった私はその時Princeが危機的な状況だったことを知りませんでした。


けれどもあなたはそんな苦しみを一切見せず、NHKホールで輝いていました。


その曲で披露していた綺麗なバク転も、努力の末に得たものであることも後から知りました。


調べれば調べるほど、努力家な姿や、端麗な容姿、可愛いのにかっこいい一面などにどんどん惹かれ、気がつけば岩橋担になっていました。







Jr.時代、すごく恵まれていたとは思えませんでした。


冠番組こそありましたし、オリ曲もありました。


しかし、第一線にはいつもMr.KINGがいて、サマステのサポーターや、ジャニアイのメインはいつも彼らで、


キンプリの括り、Mr.KINGのデビューはあり得るけど、Mr.KINGを差し置いてPrinceがデビューすることは正直考えられませんでした。


Mr.KINGには確かな実力がある。

それは紛れもない事実で


別に当事者でもない1ファンの私がどこか劣等感のようなものを感じていました。


けれどもPrinceは、Princeにしかできない公演をしてくれていました。


他のグループの公演は行ってないのでわかりませんが、彼らは誰よりもファンを大切に、宝物のように扱ってくれました。


「大好きだよ」「愛してる」

など、小っ恥ずかしくなるような言葉を何度も何度も言葉にして伝えてくれました。


それを伝えてくれるときの優しい瞳も大好きでした。


 Princeの公演はとても居心地が良く、この時間が永遠に続けば良いのに、と会いに行くたびに思いました。


よく「幸せは失って初めて気づく」と言いますが、その最中でも幸せを感じられるくらいには幸せで、


 Princeという存在が私の幸せでした。







そして、デビュー発表。


デビューを知った時、正直素直には喜べませんでした。


それは紛れもなく、 Princeを、 PrincePrincessの空間を、心の底から愛していたからでした。


でも仮にMr.KINGだけがデビューしていたら、私はきっとこれまで以上の劣等感に苛まれる。

それならキンプリの括りでデビューしてくれて良かったんじゃないか?


そんなズルい理由でなんとか納得したのを覚えています。


しかし、VS時代から応援していなかった私にとって、やはりMr.KINGの存在はライバルで、King & Princeという形がなかなか腑に落ちないでいました。


King & Princeの形しか知らない新規が増えるのが辛かったです。


しかも大体平野、時々永瀬。


 Princeという存在がどんどん薄れていくような気がして、とても寂しかったのを覚えています。


それでもやはり、グループ自体は前に進んで行って、

ハイタッチ会や1stコンサートなど、イベントがたくさんありました。


ハイタッチ会は落選し、1stコンサートは以前から予定していた留学とかぶってしまい、行くことができませんでした。


行くことはできなかったけど、DVDを観るとそこには楽しそうにアイドルをする大好きな玄樹くんの姿があって、

King & Princeになっても、彼は変わっていなかったんだなと思いました。







King & Prince岩橋玄樹くんに会えないまま、休養へ。


その頃はちょうどKing & Princeアイランドの当落が出たくらいの時期で、

見事当選しやっと玄樹くんに会えると、座長の玄樹くんに会えると、心躍らせていた時期でした。


ポスターの注意書きにある「出演者は変更になる場合があります」がまさか自分に該当するなんて思わなくて。



次はいつ会えるのだろうか。


あの時、留学をキャンセルしてコンサートを取れば良かった。


姿が見られなくなるのが寂しい。


病気を完全に理解してあげられないのが辛い。


周りの友達は私の気も知らないで今日も推しごとを楽しんでいて憎い。


そんな自分も嫌い。


もしかしたらもう会えないのではないか。


こうなったのも私のせいなのではないか。


そんな沢山の思いが駆け巡り、少しでも気を抜くと涙が止まらなくなって、泣きすぎて何度か過呼吸を起こしてしまい、ご飯もうまく食べられない時期が続きました。


休養発表からの4ヶ月は今考えても壮絶で、生きてきた18年間で最も辛かった時期だったと思います。



それでも、楽しそうにアイドルをする姿を思い返せば、


アイドルはあの子の居場所なんだ。絶対に帰ってくる。


そう思えて、なんとか時が経つのを待つことができました。







そして、一部活動再開。


一部ではありましたが、本当に嬉しくて、周りの友人まで泣きそうになりながら喜んでくれて、夢のような心地でした。


またあの笑顔が見れるんだ。


そう思ったら何事も頑張れる気がしました。








再び休養へ。


一部再開からすぐだったので、すごく驚きましたし、すごく心配しました。


しかし、同時に一部再開の時の喜びが忘れられないでいました。


玄樹くんが帰ってくる。

それだけであんなにも嬉しくて、多くの人が祝福してくれるという経験をしたので、

次の復帰はもっともっと喜べるし喜ばれる。


そう思うと待っていられました。








待っている間、色々なことがありました。



文◯の報道はショックでしたが、書かれ方や撮られ方の不自然さなどから、あの子は何も悪くないと思ったので本人だけを信じようと思いました。

あんなのは相手にしたくないのであまり触れないでおきます。



Jr.名義が切れていないのをいいことに、色々なジャニーズの公演に手当たり次第足を運びました。


もうやけくそでした。


公演に入れば幸せが手に入ると思い込み、友人からのお誘いには全て乗り、公演の案内が来ては手当たり次第申し込んで、当たり次第行くことを繰り返していました。



別界隈にも顔を出しました。


アニメ、地下アイドル、メイドカフェなど、多岐にわたりました。



それでもやはり玄樹くん以上の存在には出会えず、「自担」や「推し」というところまでは応援しきれませんでした。


今考えればかなり失礼な行為をしていたと思います。




また、待っている間に大学受験を経験しました。


志望校に合格すれば、玄樹くんは帰ってくる。


そう自分に言い聞かせて、第一志望は敵わなかったものの、偏差値を20以上上げて、E判定の大学になんとか合格することができました。


玄樹くんがより英語を深めたいという理由で大学から別の道に進んだのを思い出して、

志望校も自分のやりたいことができる場所を選びました。


きっかけはいつだって玄樹くんで、頑張る理由も玄樹くんで、不安なときは玄樹くんの口癖「大丈夫」を自分に言い聞かせて、


コロナ禍で新入試で時代の渦に巻き込まれながらも強い心を保つことができたように思います。







そして、今回の脱退、退所。


長すぎる2年もの休養期間の中で私は


帰ってきて欲しいけど、無理してまで帰って来なくていいよ。


と思うようになっていました。



無理しているのを見るのは耐えられないと思ったからです。



でも心の奥底では


絶対に帰ってきてくれる。あれだけファン想いで、アイドルが大好きなあの子なら。


と思っていました。



2年間でたくさんの事を考えていたのに、

いざ結論が出されてしまった今、自分が何を考えているのか、正直わからないでいます。


沢山考えすぎたのでしょうか。


受け入れられているのかどうかもわかりません。


なぜ今この文章を打ちながら泣いているのかもよくわかりません。


まだあまり実感も湧いていないので、全てを理解し受け入れるには時間がかかると思います。









でもこれだけは言えます。






私は玄樹くんに出会って、応援できてとても幸せだった。



形には残らなくても、幸せだった時間、想い出は、私の中で生き続け、消えて無くなることは絶対にない。



と。










最後に、




玄樹くん今まで本当にありがとう。

私はあなたのファンで居られて幸せだったよ。

どうか幸せになってね。





2021331

ぷう