ヲタクもすなる担降りブログといふものを我もしてみむとてするなり
もうタイトルの通りなんで単刀直入に申し上げますと、岩橋玄樹くんを降ります!
いや、あの、私が1番驚いてる笑
いや、前々から色んな方の担降りブログなるものをたびたび拝見してきましたけどまさかまさか自分が書くなんて、ねえ??びっくり!!
なんかあの普通に需要ない報告だと思うので勝手にしてくれよって感じだと思うんですけど、
最後なんだから自担に感謝伝えたいじゃないですか??
彼を推していたことで出会った人たちに最後くらい感謝を伝えたいじゃないですか??
なので、自己満の担降りブログ、書かせてください!!!
まず降りる理由なんですけど、あの、「これ」といって思い当たらないんですよ。
嫌いになったわけじゃないですし
好きじゃなくなったわけじゃないですし
降り先に夢中で〜って感じでもないですし(掛け持ちみたいな感じだったので好きが別ベクトル)
彼氏ができて順風満帆なので〜ってわけでもないですし(恋愛難しくて死んでます。ははは。てか順風満帆ならTwitterやめてんのよ、知らんけど)
なんか、正直「降りたいな」ってタイミングなんて死ぬほどあったんですよ。
デビュー当時演技仕事中々こなくて、歌割りも少ないな〜みたいなところで疲れちゃったり
活動休止でお先真っ暗、もう無理〜!ってなったり
待ってる間「待つ」が「耐える」に変わるのを感じてしんどかったり
でもその感情って結局全部「好き」だから来てたんですよ。
その感情を持ったまま担降りしたとて一生引きずるなっておもって、
じゃあそのマイナスな感情のまま担降りはないなって自分の中でずーっと思ってました。
じゃあなんで今なのか??
わからないけどなんか、本当に最近、急にスッとしちゃったんですよ(語彙)
玄樹くんに対しての欲がなくなったというか。
私ずっと、嫉妬してたんです。他担に。
悔しかったんです。とにかく。
何が氷河期だよ、うちの子ずっと会えてないけど??って。
ノリガの自担も、koi-wazuraiの自担も、メジナの自担も、あいぷろの自担も見たかったんですけど??って。
まあコロナで会えない期間もありましたけど、現場があって、シングルが出て、アルバムが出て、(今はご時世もあるので環境が許された人は)会いに行けて、
ずるいなってずーーーっと思ってました。
留学行ってて1stコン行けてなかったので(これは完全に私のせい)最後にあったのJr.の頃とかそんな感じで、ずっと会えてなくて
とにかく、とにかく、悔しかった。
他担と仲良くしてたけど時々妬ましく思う自分がすごく嫌でログアウトって言ってみたり、低浮上って言ってみたり(結局ツイ廃という名の病だから帰ってくるんだけど⭐︎)
でもその黒い感情も「玄樹くんに会いたい」から来ていて、会えるまでは消えることはないんだなと思っていたし
何より他担が妬ましいと思ってしまうくらいには会いたかったんですよ。玄樹くんに。
そんな感じだったけど12/1にシングル発売されて、12/23、12/24にFairy Christmasに行くことができて。
ほんっっっとうに嬉しかった。
嬉しくてたくさんCD買ったし
かわいいワンピも用意して
久々に玄樹くんのオタクとしての活動をした。
4年ぶりに会えて私なんかほんと、びっくりするくらい泣いちゃって......
でも、玄樹くんは玄樹くんで全然変わってなかった。
笑い方は「アヒャヒャッ⤴︎wwwww」だし下ネタ言って喜んじゃうし食べ物の好み変わってないしビビるくらい可愛いし
なんか本当にすごく安心した。
それはそれは感動の再会だったわけで、全国ツアーも決まって、この時は降りようなんて微塵も考えてなかった。
だけどなんだろう、最近、すごく落ち着いてきた自分がいる。
私も今年20歳になるし、大人になってしまったのかもしれない。
会えたことで他担への嫉妬心が癒えて、満たされたのもあるのかな。
供給が無だった休止期間と比べて、今は有り余るほどの供給があって、なんだかすごく「満たされきった」気がする。
ここのところ、5人の楽曲も「そういう楽曲」として受け入れられるようになってきたし!
インスタも、ファンクラブからのあれこれも、毎月届く月刊Gも前みたいに沸くことがなくなってきて。(まあ純粋にかわいい!とはおもう、だってかわいいあの人)
全然、冷めたとか嫌いになったとかじゃないんだけどなんかこう、スッとしちゃった(語彙)
新しい玄樹くんの供給に対して、感情が無というか未練がないというか
全然、昔の玄樹くんは大好きで全然ブチ上がるけど、現在の玄樹くんは別にそんな大騒ぎするほどじゃないかな〜ってなってて
多分私の中で「ジャニーズの岩橋玄樹」、「King & Princeの岩橋玄樹」、「Princeの岩橋玄樹」であることが大きな意味を持ってたんだな〜って。
このことはもうだいぶ前から気づいてはいたけどそれを強く感じたというか、玄樹くんへの考え方みたいなのを客観視している自分があまりにも冷静すぎた。
これってもしかして、永瀬を降りた友達が言ってた「過去の自担しか好きになれない」ってやつなのでは????となってしまって
あ、これを担降りというのだなと。
どこか腑に落ちてしまう自分がいた。
懐古に対しても「過去の思い出に縋る」から「過去の思い出を楽しむ」っていう気持ちに変わってきていて、それが自分の中で何より大きな心境の変化だった。
今なら思い出を綺麗なままで残せそうだなって思って降りるなら今だなって思った。
玄樹くんに沢山の幸せをもらってきたから、その思い出は全て綺麗に残したいし、「あー私この人推しててすっごく楽しかったしすっごく幸せだったな」ってずっと思っていたい。
だからグッズも手放さないし、
2月上旬に届くリルジーちゃんも思い出として取っておくことにした!届くの楽しみ〜
で!あの本当に何より、彼を応援していて全国各地にいろんな友達ができた。
思い出したくもない超絶黒歴史(メンカラ命現場参戦時代→なりきれてない激芋激安量産時代)を共に築き上げた子達とはみんな降りちゃったけど今でも繋がってるし(みんなそれぞれの方向で見違えるほど垢抜けました)
リア友にヲタ垢バレ→見えないところでいろんな拡散された事件でこのぷう垢に引っ越して、しばらくフォロワー1桁だったけど
某フォロワーマンモス岸担と仲良くなって気がついたら250人くらいフォロワーいて!?!?本当にびっくり!!
何が面白いって私、玄樹くんがインスタ開設した時に玄樹くんの笑い声文字起こししたら、それがバズってその日だけでフォロワーが倍(60→120)増えたんですよwwwwwww
もうキンプリのオタクじゃない!って何度も言ってるのに誰もフォロー外さないんですよwwww
みんな私のこと大好きなんだね????ありがとうございました
ここのフォロワーとは高校生の時はテストとか学校の愚痴言って、世界史の範囲一緒だ〜!玄樹くん大スキピオ〜♡って騒いだり、数学できなくて泣いたり、
受験中1年無浮上でも待っててくれて、
受験終わったらフリートとかいう変な機能できてて、
インスタサブ垢レベルの投稿し合って、別れをみんなで惜しんで、
スペースができてみんなと話す機会が増えて
懐古スペ(幼少期〜小学生にかけての流行りを懐古)とかばかおもろかった
スペースで朝迎えたりなんかして
スペースで出会った子だって数知れないし
なんならこのブログ更新する日の前夜から朝にかけてスペースでマッチングしてるし(共通項ありすぎて怖かった)
いや〜ほんとにオタクどうのこうの以前に、みんなとTwitterするのがめちゃくちゃ楽しかったです!
歳は近い子ばっかだったけど住んでる地域バラバラで方言も気候もバラバラなのが面白かったし
まあご時世もありましたが程よく合致もしましたよ。
岸担と合致した時、向こうはふわふわ小動物系の岩橋担を想像してたのに、湘南ギャルみたいな服きてプリキュアばりのピンク髪の連れと登場して驚かせちゃったり、
岸担と新大久保散策したり、
岩手の岸担、岩手県民のはずなのに月1ペースで会ってたり(もう一緒に写真撮らなくなった)
バースデーガールの神宮寺担とたまたま横浜駅ですれ違ったり(服とかの雰囲気でぷうさんかも!ってなったらしいもう外で変なことできん)
最近合致した岸担なんかは、私がたまたま母子手帳持ってきちゃって、タリーズでエコー写真並べながら出生体重確認したり(ちな2586g)(ここテスト出る)
数少ない岩橋担とはFairy Christmasの公演前に一緒に行動してもらったり、その場でまた新たな岩橋担とマッチングしたり、
こうやってみると合致してるのPrince担ばっかなの面白いし岸担のお友達多すぎて爆笑。
いや、仲良いKing担みんな遠いんだよな〜まあいつかどこかで会おう!
合致しなくても仲良くしてくれたフォロワーも、いつもいいねくれたフォロワーさんも、そうじゃないフォロワーさんもみんなありがとね〜〜
で、降りた後の私はと言いますと、推してるJr.がいるのでそこでジャニヲタとして生きてます〜
結局ジャニヲタは辞められないんですね〜
よく担降りブログで「担降りしてもヲタク自体は辞められなかった」みたいなの読みますけど私もどうやらそれっぽいです。笑
そっちでもこのはてなブログ動かしたいなーと思っていて、はてぶってアカウント複数作れないっぽかったので、そのままぷうって名前でやってます〜
アカウントはbio欄にありますのでお好きにフォローどうぞ〜
こっちのアカウントはもうログアウトしちゃおうかなって思っています。
みなさん本当にありがとうございました〜
そして玄樹くん、本当にありがとうございました。
間違えてつけた少クラで好きになったのが2016年の頭らへんなのでちょうど6年くらいでしょうか。
応援できてよかったです。幸せでした。
バイバイ。
2022年1月31日
ぷう
ヲタクもすなる担降りブログといふものを我もしてみむとてするなり
もうタイトルの通りなんで単刀直入に申し上げますと、岩橋玄樹くんを降ります!
いや、あの、私が1番驚いてる笑
いや、前々から色んな方の担降りブログなるものをたびたび拝見してきましたけどまさかまさか自分が書くなんて、ねえ??びっくり!!
なんかあの普通に需要ない報告だと思うので勝手にしてくれよって感じだと思うんですけど、
最後なんだから自担に感謝伝えたいじゃないですか??
彼を推していたことで出会った人たちに最後くらい感謝を伝えたいじゃないですか??
なので、自己満の担降りブログ、書かせてください!!!
まず降りる理由なんですけど、あの、「これ」といって思い当たらないんですよ。
嫌いになったわけじゃないですし
好きじゃなくなったわけじゃないですし
降り先に夢中で〜って感じでもないですし(掛け持ちみたいな感じだったので好きが別ベクトル)
彼氏ができて順風満帆なので〜ってわけでもないですし(恋愛難しくて死んでます。ははは。てか順風満帆ならTwitterやめてんのよ、知らんけど)
なんか、正直「降りたいな」ってタイミングなんて死ぬほどあったんですよ。
デビュー当時演技仕事中々こなくて、歌割りも少ないな〜みたいなところで疲れちゃったり
活動休止でお先真っ暗、もう無理〜!ってなったり
待ってる間「待つ」が「耐える」に変わるのを感じてしんどかったり
でもその感情って結局全部「好き」だから来てたんですよ。
その感情を持ったまま担降りしたとて一生引きずるなっておもって、
じゃあそのマイナスな感情のまま担降りはないなって自分の中でずーっと思ってました。
じゃあなんで今なのか??
わからないけどなんか、本当に最近、急にスッとしちゃったんですよ(語彙)
玄樹くんに対しての欲がなくなったというか。
私ずっと、嫉妬してたんです。他担に。
悔しかったんです。とにかく。
何が氷河期だよ、うちの子ずっと会えてないけど??って。
ノリガの自担も、koi-wazuraiの自担も、メジナの自担も、あいぷろの自担も見たかったんですけど??って。
まあコロナで会えない期間もありましたけど、現場があって、シングルが出て、アルバムが出て、(今はご時世もあるので環境が許された人は)会いに行けて、
ずるいなってずーーーっと思ってました。
留学行ってて1stコン行けてなかったので(これは完全に私のせい)最後にあったのJr.の頃とかそんな感じで、ずっと会えてなくて
とにかく、とにかく、悔しかった。
他担と仲良くしてたけど時々妬ましく思う自分がすごく嫌でログアウトって言ってみたり、低浮上って言ってみたり(結局ツイ廃という名の病だから帰ってくるんだけど⭐︎)
でもその黒い感情も「玄樹くんに会いたい」から来ていて、会えるまでは消えることはないんだなと思っていたし
何より他担が妬ましいと思ってしまうくらいには会いたかったんですよ。玄樹くんに。
そんな感じだったけど12/1にシングル発売されて、12/23、12/24にFairy Christmasに行くことができて。
ほんっっっとうに嬉しかった。
嬉しくてたくさんCD買ったし
かわいいワンピも用意して
久々に玄樹くんのオタクとしての活動をした。
4年ぶりに会えて私なんかほんと、びっくりするくらい泣いちゃって......
でも、玄樹くんは玄樹くんで全然変わってなかった。
笑い方は「アヒャヒャッ⤴︎wwwww」だし下ネタ言って喜んじゃうし食べ物の好み変わってないしビビるくらい可愛いし
なんか本当にすごく安心した。
それはそれは感動の再会だったわけで、全国ツアーも決まって、この時は降りようなんて微塵も考えてなかった。
だけどなんだろう、最近、すごく落ち着いてきた自分がいる。
私も今年20歳になるし、大人になってしまったのかもしれない。
会えたことで他担への嫉妬心が癒えて、満たされたのもあるのかな。
供給が無だった休止期間と比べて、今は有り余るほどの供給があって、なんだかすごく「満たされきった」気がする。
ここのところ、5人の楽曲も「そういう楽曲」として受け入れられるようになってきたし!
インスタも、ファンクラブからのあれこれも、毎月届く月刊Gも前みたいに沸くことがなくなってきて。(まあ純粋にかわいい!とはおもう、だってかわいいあの人)
全然、冷めたとか嫌いになったとかじゃないんだけどなんかこう、スッとしちゃった(語彙)
新しい玄樹くんの供給に対して、感情が無というか未練がないというか
全然、昔の玄樹くんは大好きで全然ブチ上がるけど、現在の玄樹くんは別にそんな大騒ぎするほどじゃないかな〜ってなってて
多分私の中で「ジャニーズの岩橋玄樹」、「King & Princeの岩橋玄樹」、「Princeの岩橋玄樹」であることが大きな意味を持ってたんだな〜って。
このことはもうだいぶ前から気づいてはいたけどそれを強く感じたというか、玄樹くんへの考え方みたいなのを客観視している自分があまりにも冷静すぎた。
これってもしかして、永瀬を降りた友達が言ってた「過去の自担しか好きになれない」ってやつなのでは????となってしまって
あ、これを担降りというのだなと。
どこか腑に落ちてしまう自分がいた。
懐古に対しても「過去の思い出に縋る」から「過去の思い出を楽しむ」っていう気持ちに変わってきていて、それが自分の中で何より大きな心境の変化だった。
今なら思い出を綺麗なままで残せそうだなって思って降りるなら今だなって思った。
玄樹くんに沢山の幸せをもらってきたから、その思い出は全て綺麗に残したいし、「あー私この人推しててすっごく楽しかったしすっごく幸せだったな」ってずっと思っていたい。
だからグッズも手放さないし、
2月上旬に届くリルジーちゃんも思い出として取っておくことにした!届くの楽しみ〜
で!あの本当に何より、彼を応援していて全国各地にいろんな友達ができた。
思い出したくもない超絶黒歴史(メンカラ命現場参戦時代→なりきれてない激芋激安量産時代)を共に築き上げた子達とはみんな降りちゃったけど今でも繋がってるし(みんなそれぞれの方向で見違えるほど垢抜けました)
リア友にヲタ垢バレ→見えないところでいろんな拡散された事件でこのぷう垢に引っ越して、しばらくフォロワー1桁だったけど
某フォロワーマンモス岸担と仲良くなって気がついたら250人くらいフォロワーいて!?!?本当にびっくり!!
何が面白いって私、玄樹くんがインスタ開設した時に玄樹くんの笑い声文字起こししたら、それがバズってその日だけでフォロワーが倍(60→120)増えたんですよwwwwwww
もうキンプリのオタクじゃない!って何度も言ってるのに誰もフォロー外さないんですよwwww
みんな私のこと大好きなんだね????ありがとうございました
ここのフォロワーとは高校生の時はテストとか学校の愚痴言って、世界史の範囲一緒だ〜!玄樹くん大スキピオ〜♡って騒いだり、数学できなくて泣いたり、
受験中1年無浮上でも待っててくれて、
受験終わったらフリートとかいう変な機能できてて、
インスタサブ垢レベルの投稿し合って、別れをみんなで惜しんで、
スペースができてみんなと話す機会が増えて
懐古スペ(幼少期〜小学生にかけての流行りを懐古)とかばかおもろかった
スペースで朝迎えたりなんかして
スペースで出会った子だって数知れないし
なんならこのブログ更新する日の前夜から朝にかけてスペースでマッチングしてるし(共通項ありすぎて怖かった)
いや〜ほんとにオタクどうのこうの以前に、みんなとTwitterするのがめちゃくちゃ楽しかったです!
歳は近い子ばっかだったけど住んでる地域バラバラで方言も気候もバラバラなのが面白かったし
まあご時世もありましたが程よく合致もしましたよ。
岸担と合致した時、向こうはふわふわ小動物系の岩橋担を想像してたのに、湘南ギャルみたいな服きてプリキュアばりのピンク髪の連れと登場して驚かせちゃったり、
岸担と新大久保散策したり、
岩手の岸担、岩手県民のはずなのに月1ペースで会ってたり(もう一緒に写真撮らなくなった)
バースデーガールの神宮寺担とたまたま横浜駅ですれ違ったり(服とかの雰囲気でぷうさんかも!ってなったらしいもう外で変なことできん)
最近合致した岸担なんかは、私がたまたま母子手帳持ってきちゃって、タリーズでエコー写真並べながら出生体重確認したり(ちな2586g)(ここテスト出る)
数少ない岩橋担とはFairy Christmasの公演前に一緒に行動してもらったり、その場でまた新たな岩橋担とマッチングしたり、
こうやってみると合致してるのPrince担ばっかなの面白いし岸担のお友達多すぎて爆笑。
いや、仲良いKing担みんな遠いんだよな〜まあいつかどこかで会おう!
合致しなくても仲良くしてくれたフォロワーも、いつもいいねくれたフォロワーさんも、そうじゃないフォロワーさんもみんなありがとね〜〜
で、降りた後の私はと言いますと、推してるJr.がいるのでそこでジャニヲタとして生きてます〜
結局ジャニヲタは辞められないんですね〜
よく担降りブログで「担降りしてもヲタク自体は辞められなかった」みたいなの読みますけど私もどうやらそれっぽいです。笑
そっちでもこのはてなブログ動かしたいなーと思っていて、はてぶってアカウント複数作れないっぽかったので、そのままぷうって名前でやってます〜
アカウントはbio欄にありますのでお好きにフォローどうぞ〜
こっちのアカウントはもうログアウトしちゃおうかなって思っています。
みなさん本当にありがとうございました〜
そして玄樹くん、本当にありがとうございました。
間違えてつけた少クラで好きになったのが2016年の頭らへんなのでちょうど6年くらいでしょうか。
応援できてよかったです。幸せでした。
バイバイ。
2022年1月31日
ぷう
ヲタクもすなる担降りブログといふものを我もしてみむとてするなり
もうタイトルの通りなんで単刀直入に申し上げますと、岩橋玄樹くんを降ります!
いや、あの、私が1番驚いてる笑
いや、前々から色んな方の担降りブログなるものをたびたび拝見してきましたけどまさかまさか自分が書くなんて、ねえ??びっくり!!
なんかあの普通に需要ない報告だと思うので勝手にしてくれよって感じだと思うんですけど、
最後なんだから自担に感謝伝えたいじゃないですか??
彼を推していたことで出会った人たちに最後くらい感謝を伝えたいじゃないですか??
なので、自己満の担降りブログ、書かせてください!!!
まず降りる理由なんですけど、あの、「これ」といって思い当たらないんですよ。
嫌いになったわけじゃないですし
好きじゃなくなったわけじゃないですし
降り先に夢中で〜って感じでもないですし(掛け持ちみたいな感じだったので好きが別ベクトル)
彼氏ができて順風満帆なので〜ってわけでもないですし(恋愛難しくて死んでます。ははは。てか順風満帆ならTwitterやめてんのよ、知らんけど)
なんか、正直「降りたいな」ってタイミングなんて死ぬほどあったんですよ。
デビュー当時演技仕事中々こなくて、歌割りも少ないな〜みたいなところで疲れちゃったり
活動休止でお先真っ暗、もう無理〜!ってなったり
待ってる間「待つ」が「耐える」に変わるのを感じてしんどかったり
でもその感情って結局全部「好き」だから来てたんですよ。
その感情を持ったまま担降りしたとて一生引きずるなっておもって、
じゃあそのマイナスな感情のまま担降りはないなって自分の中でずーっと思ってました。
じゃあなんで今なのか??
わからないけどなんか、本当に最近、急にスッとしちゃったんですよ(語彙)
玄樹くんに対しての欲がなくなったというか。
私ずっと、嫉妬してたんです。他担に。
悔しかったんです。とにかく。
何が氷河期だよ、うちの子ずっと会えてないけど??って。
ノリガの自担も、koi-wazuraiの自担も、メジナの自担も、あいぷろの自担も見たかったんですけど??って。
まあコロナで会えない期間もありましたけど、現場があって、シングルが出て、アルバムが出て、(今はご時世もあるので環境が許された人は)会いに行けて、
ずるいなってずーーーっと思ってました。
留学行ってて1stコン行けてなかったので(これは完全に私のせい)最後にあったのJr.の頃とかそんな感じで、ずっと会えてなくて
とにかく、とにかく、悔しかった。
他担と仲良くしてたけど時々妬ましく思う自分がすごく嫌でログアウトって言ってみたり、低浮上って言ってみたり(結局ツイ廃という名の病だから帰ってくるんだけど⭐︎)
でもその黒い感情も「玄樹くんに会いたい」から来ていて、会えるまでは消えることはないんだなと思っていたし
何より他担が妬ましいと思ってしまうくらいには会いたかったんですよ。玄樹くんに。
そんな感じだったけど12/1にシングル発売されて、12/23、12/24にFairy Christmasに行くことができて。
ほんっっっとうに嬉しかった。
嬉しくてたくさんCD買ったし
かわいいワンピも用意して
久々に玄樹くんのオタクとしての活動をした。
4年ぶりに会えて私なんかほんと、びっくりするくらい泣いちゃって......
でも、玄樹くんは玄樹くんで全然変わってなかった。
笑い方は「アヒャヒャッ⤴︎wwwww」だし下ネタ言って喜んじゃうし食べ物の好み変わってないしビビるくらい可愛いし
なんか本当にすごく安心した。
それはそれは感動の再会だったわけで、全国ツアーも決まって、この時は降りようなんて微塵も考えてなかった。
だけどなんだろう、最近、すごく落ち着いてきた自分がいる。
私も今年20歳になるし、大人になってしまったのかもしれない。
会えたことで他担への嫉妬心が癒えて、満たされたのもあるのかな。
供給が無だった休止期間と比べて、今は有り余るほどの供給があって、なんだかすごく「満たされきった」気がする。
ここのところ、5人の楽曲も「そういう楽曲」として受け入れられるようになってきたし!
インスタも、ファンクラブからのあれこれも、毎月届く月刊Gも前みたいに沸くことがなくなってきて。(まあ純粋にかわいい!とはおもう、だってかわいいあの人)
全然、冷めたとか嫌いになったとかじゃないんだけどなんかこう、スッとしちゃった(語彙)
新しい玄樹くんの供給に対して、感情が無というか未練がないというか
全然、昔の玄樹くんは大好きで全然ブチ上がるけど、現在の玄樹くんは別にそんな大騒ぎするほどじゃないかな〜ってなってて
多分私の中で「ジャニーズの岩橋玄樹」、「King & Princeの岩橋玄樹」、「Princeの岩橋玄樹」であることが大きな意味を持ってたんだな〜って。
このことはもうだいぶ前から気づいてはいたけどそれを強く感じたというか、玄樹くんへの考え方みたいなのを客観視している自分があまりにも冷静すぎた。
これってもしかして、永瀬を降りた友達が言ってた「過去の自担しか好きになれない」ってやつなのでは????となってしまって
あ、これを担降りというのだなと。
どこか腑に落ちてしまう自分がいた。
懐古に対しても「過去の思い出に縋る」から「過去の思い出を楽しむ」っていう気持ちに変わってきていて、それが自分の中で何より大きな心境の変化だった。
今なら思い出を綺麗なままで残せそうだなって思って降りるなら今だなって思った。
玄樹くんに沢山の幸せをもらってきたから、その思い出は全て綺麗に残したいし、「あー私この人推しててすっごく楽しかったしすっごく幸せだったな」ってずっと思っていたい。
だからグッズも手放さないし、
2月上旬に届くリルジーちゃんも思い出として取っておくことにした!届くの楽しみ〜
で!あの本当に何より、彼を応援していて全国各地にいろんな友達ができた。
思い出したくもない超絶黒歴史(メンカラ命現場参戦時代→なりきれてない激芋激安量産時代)を共に築き上げた子達とはみんな降りちゃったけど今でも繋がってるし(みんなそれぞれの方向で見違えるほど垢抜けました)
リア友にヲタ垢バレ→見えないところでいろんな拡散された事件でこのぷう垢に引っ越して、しばらくフォロワー1桁だったけど
某フォロワーマンモス岸担と仲良くなって気がついたら250人くらいフォロワーいて!?!?本当にびっくり!!
何が面白いって私、玄樹くんがインスタ開設した時に玄樹くんの笑い声文字起こししたら、それがバズってその日だけでフォロワーが倍(60→120)増えたんですよwwwwwww
もうキンプリのオタクじゃない!って何度も言ってるのに誰もフォロー外さないんですよwwww
みんな私のこと大好きなんだね????ありがとうございました
ここのフォロワーとは高校生の時はテストとか学校の愚痴言って、世界史の範囲一緒だ〜!玄樹くん大スキピオ〜♡って騒いだり、数学できなくて泣いたり、
受験中1年無浮上でも待っててくれて、
受験終わったらフリートとかいう変な機能できてて、
インスタサブ垢レベルの投稿し合って、別れをみんなで惜しんで、
スペースができてみんなと話す機会が増えて
懐古スペ(幼少期〜小学生にかけての流行りを懐古)とかばかおもろかった
スペースで朝迎えたりなんかして
スペースで出会った子だって数知れないし
なんならこのブログ更新する日の前夜から朝にかけてスペースでマッチングしてるし(共通項ありすぎて怖かった)
いや〜ほんとにオタクどうのこうの以前に、みんなとTwitterするのがめちゃくちゃ楽しかったです!
歳は近い子ばっかだったけど住んでる地域バラバラで方言も気候もバラバラなのが面白かったし
まあご時世もありましたが程よく合致もしましたよ。
岸担と合致した時、向こうはふわふわ小動物系の岩橋担を想像してたのに、湘南ギャルみたいな服きてプリキュアばりのピンク髪の連れと登場して驚かせちゃったり、
岸担と新大久保散策したり、
岩手の岸担、岩手県民のはずなのに月1ペースで会ってたり(もう一緒に写真撮らなくなった)
バースデーガールの神宮寺担とたまたま横浜駅ですれ違ったり(服とかの雰囲気でぷうさんかも!ってなったらしいもう外で変なことできん)
最近合致した岸担なんかは、私がたまたま母子手帳持ってきちゃって、タリーズでエコー写真並べながら出生体重確認したり(ちな2586g)(ここテスト出る)
数少ない岩橋担とはFairy Christmasの公演前に一緒に行動してもらったり、その場でまた新たな岩橋担とマッチングしたり、
こうやってみると合致してるのPrince担ばっかなの面白いし岸担のお友達多すぎて爆笑。
いや、仲良いKing担みんな遠いんだよな〜まあいつかどこかで会おう!
合致しなくても仲良くしてくれたフォロワーも、いつもいいねくれたフォロワーさんも、そうじゃないフォロワーさんもみんなありがとね〜〜
で、降りた後の私はと言いますと、推してるJr.がいるのでそこでジャニヲタとして生きてます〜
結局ジャニヲタは辞められないんですね〜
よく担降りブログで「担降りしてもヲタク自体は辞められなかった」みたいなの読みますけど私もどうやらそれっぽいです。笑
そっちでもこのはてなブログ動かしたいなーと思っていて、はてぶってアカウント複数作れないっぽかったので、そのままぷうって名前でやってます〜
アカウントはbio欄にありますのでお好きにフォローどうぞ〜
こっちのアカウントはもうログアウトしちゃおうかなって思っています。
みなさん本当にありがとうございました〜
そして玄樹くん、本当にありがとうございました。
間違えてつけた少クラで好きになったのが2016年の頭らへんなのでちょうど6年くらいでしょうか。
応援できてよかったです。幸せでした。
バイバイ。
2022年1月31日
ぷう
岩橋玄樹くんありがとう
玄樹くん
5年間ありがとう。
2016年初め頃、チャンネルを間違えて観た少クラでPrinceを知り、あなたを知りました。
Jr.に対して無知だった私はその時Princeが危機的な状況だったことを知りませんでした。
けれどもあなたはそんな苦しみを一切見せず、NHKホールで輝いていました。
その曲で披露していた綺麗なバク転も、努力の末に得たものであることも後から知りました。
調べれば調べるほど、努力家な姿や、端麗な容姿、可愛いのにかっこいい一面などにどんどん惹かれ、気がつけば岩橋担になっていました。
Jr.時代、すごく恵まれていたとは思えませんでした。
冠番組こそありましたし、オリ曲もありました。
しかし、第一線にはいつもMr.KINGがいて、サマステのサポーターや、ジャニアイのメインはいつも彼らで、
キンプリの括り、Mr.KINGのデビューはあり得るけど、Mr.KINGを差し置いてPrinceがデビューすることは正直考えられませんでした。
Mr.KINGには確かな実力がある。
それは紛れもない事実で。
別に当事者でもない1ファンの私がどこか劣等感のようなものを感じていました。
けれどもPrinceは、Princeにしかできない公演をしてくれていました。
他のグループの公演は行ってないのでわかりませんが、彼らは誰よりもファンを大切に、宝物のように扱ってくれました。
「大好きだよ」「愛してる」
など、小っ恥ずかしくなるような言葉を何度も何度も言葉にして伝えてくれました。
それを伝えてくれるときの優しい瞳も大好きでした。
Princeの公演はとても居心地が良く、この時間が永遠に続けば良いのに、と会いに行くたびに思いました。
よく「幸せは失って初めて気づく」と言いますが、その最中でも幸せを感じられるくらいには幸せで、
Princeという存在が私の幸せでした。
そして、デビュー発表。
デビューを知った時、正直素直には喜べませんでした。
それは紛れもなく、 Princeを、 PrinceとPrincessの空間を、心の底から愛していたからでした。
でも仮にMr.KINGだけがデビューしていたら、私はきっとこれまで以上の劣等感に苛まれる。
それならキンプリの括りでデビューしてくれて良かったんじゃないか?
そんなズルい理由でなんとか納得したのを覚えています。
しかし、VS時代から応援していなかった私にとって、やはりMr.KINGの存在はライバルで、King & Princeという形がなかなか腑に落ちないでいました。
King & Princeの形しか知らない新規が増えるのが辛かったです。
しかも大体平野、時々永瀬。
Princeという存在がどんどん薄れていくような気がして、とても寂しかったのを覚えています。
それでもやはり、グループ自体は前に進んで行って、
ハイタッチ会や1stコンサートなど、イベントがたくさんありました。
ハイタッチ会は落選し、1stコンサートは以前から予定していた留学とかぶってしまい、行くことができませんでした。
行くことはできなかったけど、DVDを観るとそこには楽しそうにアイドルをする大好きな玄樹くんの姿があって、
King & Princeになっても、彼は変わっていなかったんだなと思いました。
King & Princeの岩橋玄樹くんに会えないまま、休養へ。
その頃はちょうどKing & Princeアイランドの当落が出たくらいの時期で、
見事当選しやっと玄樹くんに会えると、座長の玄樹くんに会えると、心躍らせていた時期でした。
ポスターの注意書きにある「出演者は変更になる場合があります」がまさか自分に該当するなんて思わなくて。
次はいつ会えるのだろうか。
あの時、留学をキャンセルしてコンサートを取れば良かった。
姿が見られなくなるのが寂しい。
病気を完全に理解してあげられないのが辛い。
周りの友達は私の気も知らないで今日も推しごとを楽しんでいて憎い。
そんな自分も嫌い。
もしかしたらもう会えないのではないか。
こうなったのも私のせいなのではないか。
そんな沢山の思いが駆け巡り、少しでも気を抜くと涙が止まらなくなって、泣きすぎて何度か過呼吸を起こしてしまい、ご飯もうまく食べられない時期が続きました。
休養発表からの4ヶ月は今考えても壮絶で、生きてきた18年間で最も辛かった時期だったと思います。
それでも、楽しそうにアイドルをする姿を思い返せば、
アイドルはあの子の居場所なんだ。絶対に帰ってくる。
そう思えて、なんとか時が経つのを待つことができました。
そして、一部活動再開。
一部ではありましたが、本当に嬉しくて、周りの友人まで泣きそうになりながら喜んでくれて、夢のような心地でした。
またあの笑顔が見れるんだ。
そう思ったら何事も頑張れる気がしました。
再び休養へ。
一部再開からすぐだったので、すごく驚きましたし、すごく心配しました。
しかし、同時に一部再開の時の喜びが忘れられないでいました。
玄樹くんが帰ってくる。
それだけであんなにも嬉しくて、多くの人が祝福してくれるという経験をしたので、
次の復帰はもっともっと喜べるし喜ばれる。
そう思うと待っていられました。
待っている間、色々なことがありました。
文◯の報道はショックでしたが、書かれ方や撮られ方の不自然さなどから、あの子は何も悪くないと思ったので本人だけを信じようと思いました。
あんなのは相手にしたくないのであまり触れないでおきます。
Jr.名義が切れていないのをいいことに、色々なジャニーズの公演に手当たり次第足を運びました。
もうやけくそでした。
公演に入れば幸せが手に入ると思い込み、友人からのお誘いには全て乗り、公演の案内が来ては手当たり次第申し込んで、当たり次第行くことを繰り返していました。
別界隈にも顔を出しました。
アニメ、地下アイドル、メイドカフェなど、多岐にわたりました。
それでもやはり玄樹くん以上の存在には出会えず、「自担」や「推し」というところまでは応援しきれませんでした。
今考えればかなり失礼な行為をしていたと思います。
また、待っている間に大学受験を経験しました。
志望校に合格すれば、玄樹くんは帰ってくる。
そう自分に言い聞かせて、第一志望は敵わなかったものの、偏差値を20以上上げて、E判定の大学になんとか合格することができました。
玄樹くんがより英語を深めたいという理由で大学から別の道に進んだのを思い出して、
志望校も自分のやりたいことができる場所を選びました。
きっかけはいつだって玄樹くんで、頑張る理由も玄樹くんで、不安なときは玄樹くんの口癖「大丈夫」を自分に言い聞かせて、
コロナ禍で新入試で時代の渦に巻き込まれながらも強い心を保つことができたように思います。
そして、今回の脱退、退所。
長すぎる2年もの休養期間の中で私は
帰ってきて欲しいけど、無理してまで帰って来なくていいよ。
と思うようになっていました。
無理しているのを見るのは耐えられないと思ったからです。
でも心の奥底では
絶対に帰ってきてくれる。あれだけファン想いで、アイドルが大好きなあの子なら。
と思っていました。
2年間でたくさんの事を考えていたのに、
いざ結論が出されてしまった今、自分が何を考えているのか、正直わからないでいます。
沢山考えすぎたのでしょうか。
受け入れられているのかどうかもわかりません。
なぜ今この文章を打ちながら泣いているのかもよくわかりません。
まだあまり実感も湧いていないので、全てを理解し受け入れるには時間がかかると思います。
でもこれだけは言えます。
私は玄樹くんに出会って、応援できてとても幸せだった。
形には残らなくても、幸せだった時間、想い出は、私の中で生き続け、消えて無くなることは絶対にない。
と。
最後に、
玄樹くん今まで本当にありがとう。
私はあなたのファンで居られて幸せだったよ。
どうか幸せになってね。
2021年3月31日
ぷう